2008年11月18日火曜日

(英語への)翻訳者による序章

 皆さんは勝利するいのちを知っていますか?あなたは自分が生きるキリスト者としての生を恥ずかしく思いますか?勝利への努力に失敗し、「私はみじめな人間だ。誰が・・・救ってくれるのだろうか。」(ローマ7:24)あなたの救いがすぐ近くにあることを覚えて安心してください:「私たちの主イエス・キリストをとおして、神に感謝あれ。」(25節)。なぜなら勝利するいのちは自分で勝ち取るものではなく、ただ手に入るものだからです。それはいのちが変化することではなく、むしろいのちの交換です。それはいのちの抑制ではなく、ただいのちの表現です。率直に言って、それはあなた自身の中にあるのではありません。なぜならそれはあなたの中に住んでおられるキリストの中にあるからです。神があなたに与えられ、あなたが御子イエス・キリストを信じるときに受け取るのは、そのようないのちです。それは罪に勝利し、神との親密な交わりを備え、そして満足と力に満ちたいのちです。それはすでにあなたの内にあり、あなたに見つけ出されるのを待っています。その力を経験するための秘訣は、あなた自身を手放し、そしてあなたの変わりにキリストに生きていただくことです。このためには子供のような信仰が必要です。そうすれば、あなたを愛する神を通して、勝利者以上の者となるでしょう。

 この勝利するいのちをキリスト者が楽しむようになるのを助けるために、ウォッチマン・ニーは、1935年の9月と10月に、中国の上海でのカンファレンスにおいて、このテーマで連続メッセージを語りました。彼はこの重要な主題についてのすべての問題を、いつものように徹底的に、しかし単純に、そしてストレートに取り扱いました。そのカンファレンスで、彼は信者の個人的な経験が、恥ずかしくも望ましいものではないことから語りはじめました。そして、それと対照的に、神によって定められたキリスト者のいのちというものを提示します。次に、彼はこの勝利するいのちの性質について取り扱い、そしてそこに入る方法を見せてくれました。さらなる詳細において、彼は捧げることと信じることについて語りました。それは勝利へのドアをまたぐための条件です。しかし彼は聴衆に、そのあとに来る信仰の試練について警告します。彼は聴衆がイエス・キリストの恵みの中で成長するようにと励ましました。彼はまた、勝利のしるしである賛美を心に留める必要について語ります。そして終わりに、勝利の後の最初と最後の行動である聖別について語りました。

 これらのメッセージは今中国語から英語に初めて翻訳され、本の形で読者の方に読んでいただけるようになりました。主のものである人々を通して主のいのちを生きてくださることにより、栄光の主があがめられますように。