2008年12月2日火曜日

4-B

 B. 信じること --「いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」 

 これまでお話してきたことを要約しましょう。神は、私が完全に堕落している、と言います。私もまた、私は完全に堕落している、と言いましょう。神は、私が役に立たない、と言います。私もまた、私は役に立たない、と言いましょう。神は、私にふさわしいのは死だけだ、と言います。私もまた、私にふさわしいのは死だけだ、と言いましょう。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」というのは事実です。事実によると、今日、私はもう生きてはいません。私のうちに生きておられるのはキリストです。もはや生きているのが私でないのはなぜでしょう?2引く1は1です。私からアダムを取り去るとあとに残るのは…明らかにキリストです。一緒に住んでいた二人のうち一人が引っ越して行きました。だからキリストだけが、私たちのうちに残った一人のお方なのです。これが事実です。しかし私はそれをどう現しますか?方法は、信じること以外にありません。

 (1)神の事実を信じる

 神の福音は、神は御子を私たちに与えられた、と語っています。御子が義、聖、購いとなられました(1コリント1:30参照)。実際のところ、主の完全性、忍耐、また優しさを私たちに分かち合っていただくために、主を私たちのいのちとして新たに受け入れる必要はないのです。主はすでにわたしたちのいのちだからです。御言葉は、キリストが私たちの頭であることを示しています(エペソ1:22、4:15;コロサイ1:18参照)。人の頭は感覚や体のケアや制御をつかさどりますが、キリストがキリスト者である私たちに対してしてくださることも同じです。私たちはキリストに、私たちがキリストの体となれるようにあなたが頭となってください、と頼む必要はないのです。今日、キリストが頭であり、私たちはキリストの体の肢体です。これが信仰です。否定的に、私たちは委ねました。しかし、私たちは積極的に、キリストが私たちの頭であり、私たちのために感じたり面倒を見たり、コントロールしてくださる方であると今信じていますか?神の言葉はキリストが頭である、と明言します。あなたは今現在キリストがあなたのことを気にかけておられると信じますか?

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